SSブログ

映画「父親達の星条旗」 [映画]

 この映画は、戦争写真の傑作として有名な、硫黄島で星条旗を掲げる米軍兵士達の写真が実はやらせだったというショッキングな内容を扱っている割りには、インパクトの乏しい単なる戦争映画になってしまったハリウッド的な娯楽映画というところでしょうか。

 米国における有色人種、特にインディアン(ネイティブ・アメリカン)に対する差別や偏見なども取り上げられていますが、米国では当り前の情景とでも言うかの如く淡々と流していて、その点でもインパクトの乏しい映画です。

 さて、この映画が語るように硫黄島の英雄達が戦費調達のために、米国政府とメディアにより作られた英雄であったとすれば、硫黄島の戦いの持つ意味そのものも、実は作られたものではなかったのか、映画を観ながら、そんなことを考えてしまいました。

 米国政府・軍としても、7,000名の戦死者と22,000名の負傷者を出して、英雄達の決死の活躍により、ようやく確保した硫黄島が実は太平洋に浮かぶ単なる孤島に過ぎず、戦略的にはほとんど価値がないということなど、決して認めはしないでしょう。

 しかし、冷静に考えてみると、硫黄島の戦いは1945年2月16日に始まり、3月22日に一応の終結をみた後、3月26日の日本軍司令官栗林中将の戦死で公式には終わりますが、有名な東京大空襲は3月10日、まだ硫黄島で激戦が続いていた時期に行われています。

 硫黄島は、東京をはじめとする日本本土をB29が爆撃する際に護衛のためのP51戦闘機の発進基地として必要という話だったはずですが、実際にはP51の護衛が無くとも米軍は日本本土に対して大規模な爆撃を遂行することが十分に可能だったのです。

 また、損傷・故障したB29が不時着する基地として、重要という話もありましたが、日本本土から硫黄島まで1000キロ以上もの飛行ができた機体でマリアナ諸島まで辿り着けない機がどれだけあったか、いささか疑問を感じるところです。
 また、当時の日本周辺は制海権も制空権も米軍が掌握しており、仮にB29が洋上に不時着したとしても米軍、特に潜水艦により救助することは、それほど困難なことではなかったでしょう。
 海兵隊に30,000名弱の死傷者を出してまで、搭乗兵のための不時着地として硫黄島を確保する意味があったのでしょうか。

 一方、日本にとっても、米軍の沖縄侵攻はほぼ予定どおり3月26日に始まっており、必ずしも時間稼ぎに成功したとは言えないように思います。
 もともとヨーロッパ戦線でドイツ軍が壊滅したことから、欧州と太平洋、二正面作戦を展開していた米軍が対日戦に戦力を集中できるようになった時点で、時間稼ぎという戦闘目的さえも意味を失ってしまったと言えるでしょう。さらに、ヤルタでスターリンが対日参戦を約束したときに、ソ連を仲介とする対米講和も不可能となったと言えます。

 戦局を打開する見込みのない状態での何の展望もない持久戦ほど、無意味なものはないでしょう。

 映画の本題とは別のところで、色々と戦争について、人間の性について、考えさせられる映画でした。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。