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防衛『省』発足、「新たな国づくり」の第一歩 [独り言]

 1月9日、防衛省が発足した。もともと、防衛『庁』の時代から、事実上、「省」として機能していたし、防衛庁長官は国務大臣が務め、閣議にも出席していたので、今回の機構改革による実質的な機能の変更はほとんどない。これまで形式的に内閣府の決裁を要していたものが不要になると言う程度のことである。
 自衛隊の海外派遣を本来業務としたことについても、既にインド洋への艦隊派遣、イラクへの軍用輸送機と地上戦闘部隊の派遣が行われており、海外派兵は既成事実と化していることから、今回の自衛隊法の改正は現状を追認したものと言える。

 むしろ、防衛省発足の本当の意味は、安倍首相が記念式典でも述べているように、「新たな国づくりを行うための基礎」として、その最初の「大きな一歩」を象徴することである。
 第二次大戦後、日本は平和憲法の下、経済優先、軍事劣後を国策・国是としてきたが、その流れを大きく方針を転換し、経済大国から軍事大国へと踏み出す第一歩として、その象徴としての防衛省の設置である。
 安倍首相は米国のG.W.ブッシュ大統領と同様に、軍事力で平和を維持できると信じているようであるが、それが幻想に過ぎないことは、1990年代のソマリア、そして現在のイラクが証明しているとおりである。

 また、久間初代防衛大相は防衛省が国防に関する政策立案機関として機能することを目指すだけでなく、武官(自衛官、いわゆる制服組)を政策立案に関与させたいようである。現在の防衛省は、長である防衛大臣を文官である防衛参事官が補佐する体制であり、一応、シビリアン・コントロールが徹底されている。
 久間大臣は、これを改め、防衛参事官を廃止するか、あるいは防衛参事官に自衛官を任命して、武官が直接、政治に関与することができるようにしたいようである。行政機関に限らず、およそ組織というものは自己保存の原則が強く働き、自己の権益の拡大に務めるようになるものである。武官が政策に関与すれば、国防予算の増額、軍組織の肥大化、兵員と装備の近代化に務めることになるのは必定であろう。

 米国では国防総省の下に各軍組織があるが、国防長官を初めとして、陸軍長官、海軍長官、空軍長官らは、すべて文官である。もちろん、アイゼンハワーのように軍人出身の大統領も輩出する国であるから、退役軍人が長官になることはありうるが、その立場はあくまでも文官であり、もはや実戦部隊の指揮官ではない。

 防衛省が国防政策を担うようになったとき、その目的が何になるか、大いに注視する必要がある。一言で国を守ると言っても、国は、国民、国土、主権の三要素から構成される複合的なものである。主権とは、国の意思を決める権限と言っても良い。多くの国民の命を犠牲にし、国土を焦土と化してでも、主権は守るべきと言う考えもあり得るし、主権を譲り渡しても、人命と山河を残すべきと言う考えもある。
 国破れて山河ありというが、山河も人も無くして、国だけが残ることは避けたいと思う。


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