映画「となり町戦争」 江口洋介、原田知世、瑛太、岩松了 [映画]
映画「となり町戦争」 江口洋介、原田知世、瑛太、岩松了
現代の日本において隣町と戦争をするなど、およそ考えられないような状況を設定しての娯楽映画なのですが、意外とシリアスでブラックユーモアに富んだ面白い作品です。
冗談っぽい話の中に「戦争」というものの持つ様々な面をやや極端な形であぶり出しています。あるいは戦争という世にも馬鹿げた出来事を真面目に描いたと言うことでしょうか。
例えば、森見町の傭兵(某市市民)は森見町内でしか戦闘行為(殺人)ができず、舞坂町内にいる敵(舞坂町民)を殺せないとか・・・。
本来、殺すか殺されるかの非情な世界である筈の戦場にも、なぜかルールがあり、それを犯すと戦争犯罪人として罰せられ、ルールを守れば、殺した人間の数に応じて報奨が得られるという、一歩退いて醒めた目で見れば、馬鹿馬鹿しいようなことが罷り通るのが戦争というもののようです。これは映画の世界での話ではなく、現実の世界でも同じことです。
ほとんどの大人は、子供に人を殺してはいけないと教え諭すでしょうが、いざ戦争となると、小学生にも人を殺すことを奨励する・・・。
戦争に反対していた人が自ら志願して兵士となり、率先して前線に立ち、人を殺すという理不尽さ・・・。
いつの間にか戦争が始まり、いつしか皆が戦争に協力し、むしろ積極的に参加するようになる不思議さ・・・。
愛するものを守るためと称して、人を殺し、他人が愛するものを壊すことの愚かさ・・・。
これらは戦争というもの持つ魔性のようなものなのでしょうか。そして、それは人間自身の内に潜む魔物なのかも知れません。
主人公、北原修路(江口洋介)の上司、田尻主任(岩松了)は、戦争というもののもつ不可思議さを際立たせるユニークな役です。
舞坂町役場職員として戦争業務を遂行する香西瑞希(原田知世)とは別の意味で、戦争を業務として割り切り、戦場では平気で隣人を殺しつつも、戦後は敵とも仲良くすることができる・・・。
戦争が所詮は殺し合いであり、戦場では情け無用で互いを殺そうとする以上、どこかで互いに憎しみを捨てなければ、戦争は際限なく続き、どちらか、あるいは双方がすべて息絶えるまで続いてしまう。
人間の歴史が戦争の連続である以上、どこかで割り切り、諦めなければ、人間は生き残ることができなかったのかも知れません。
ところで、映画の中で、ビルの屋上から眺める遠くの山並みに、何となく見覚えがあるような気がして見ていたら、松山銘菓の「一六タルト」が登場し、電車に「伊予鉄道株式会社」の文字があり、映画のロケ地は愛媛県だと分かりました。パンフレットによると、撮影場所は大洲市、東温市(旧重信町と旧川内町)、松山市、今治市等でした。
北原が線路を跨いで駅員とキャッチボールをするのんびりとした駅はJR四国の伊予桜井駅(今治市)ですが、現実には映画と違って駅員もいないような寂しい駅です。
最近、地域興しの一環で映画のロケを積極的に誘致する地方都市が増えています。一時期、映画の撮影は地域住民に迷惑がられたりすることもあって、公共施設の使用許可、撮影許可が出ないと言うこともあったようですが、今は市役所以下、鉄道各社も積極的に協力してくれるようです。
映画興業における最近の邦画の活躍も、こうした映画ロケへの地方都市の積極的な支援が貢献しているのかも知れません。
最後にネタバレになりますが、俳優の瑛太くんには名字がありませんが、瑛太くんの演ずる若者、智希にはちゃんと名字があり、劇中で明らかになります。最初から名字を知っていると、映画を観る楽しみがちょっと減ります。
TBさせていただきました。
よろしくお願いします。
by DTC (2007-03-09 21:46)
DTCさん、こんにちは。
私の方でもTBさせていただいていますので、よろしくお願いします。
by frhikaru (2007-03-10 10:32)