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「絢爛とか爛漫とか(モダンボーイ版)」(赤坂RED/THEATER) 土屋裕一、及川健 [演劇]

 激動の時代であった明治と昭和に挟まれ、短いながらも絢爛かつ爛漫な文化が華開いた大正を時代背景に、小説家を志す青年の成長を同じく小説家を志す友人らとの交流を軸に描いた作品です。
 芝居を観ているというよりも、小説を読んでいる、朗読を聞いているという感じの作品でした。

※[シナリオの設定は昭和初期のようですが、作品の雰囲気は、むしろ大正末期でしょう。昭和にはいると、1927年(昭和2年)、中国大陸(山東省)へ日本軍派遣、1928年(昭和3年)、張作霖爆殺(日本軍の謀殺?)、1929年(昭和4年)、世界恐慌と世相は一気に暗くなってしまいますから。]

 主人公の古賀大介を演じた土屋裕一さんは、ミュージカル「テニスの王子様」の大石秀一郎役、ロックミュージカル「BLEACH」の市丸ギン役として舞台に立ち、独特の雰囲気を醸し出す役者さんですが、今回は、今までとは、また違った面を見せてくれました。

 耽美小説と言うよりも、猟奇小説に近い作品を描く加藤常吉を演じたのは、男性ばかりの劇団、Stadio Lifeの看板“女優”、及川健さんです。最近、男役で他の劇団等に客演出演することが多くなっていますが、たまにはStadio Lifeでも拝見したいものです。

 主人公の古賀(土屋裕一)は小説家とはいうものの、処女作以降、小説が書けないまま、自分には才能が無いのではないかと、日々、悶々と悩んでいるような情けない人間です。
 一方、小説家仲間の加藤(及川)は女性に振られながらも、次々と猟奇的とも言える独自の小説を発表し、異端ながらも小説家としての評価を得つつあり、文芸評論家志望の泉謙一郎(日比大介)でさえも一端の小説を書き上げて、それなりの評価を得てしまいます。
 そんな中で、諸岡一馬(加藤啓)の才能に嫉妬し、諸岡が消えることを願いつつ、諸岡が小説を断念することを誰よりも怒り、悲しむという一見、矛盾した、実に、人間らしい心の葛藤を巧みに演じていました。

 土屋さん自身、俳優「土屋裕一」として、己の才能の限界や他の役者への妬みというものを実際に感じたことがあるのかも知れません。
 最後には、古賀自身が成長し、諸岡を乗り越え、諸岡の志を継ぐという形で、一応、ハッピーエンドを迎えますが、別の終わり方があっても良かったかも知れません。

 小説家に限らず、自分の才能、能力に自信のある人が自分よりも優れた人間に出会ったときの衝撃というのは、「アマデウス」のモーツァルトと、ザリエリみたいな関係でしょうか。
 モーツァルトの才能を理解できるが故に、嫉妬し、殺そうとしてしまうザリエリは、むしろ、モーツァルトの才能が理解できない凡人であれば、良かったのにと嘆き、神を呪い、そして、モーツァルトを殺すことにより、神への復讐を果たそうとします。なまじ天才を理解できるだけの才能を持ってしまったものの不幸でしょう。

 三谷幸喜作・演出の「コンフィデンス・絆」には4人の画家が登場し、天才ゴッホ(生瀬勝久)の才能を理解できるスーラ(中井貴一)とゴーギャン(寺脇康文)、才能を理解できなかったシュフネッケル(相島一之)という形で、描き分けることによって、悲喜劇を作り上げています。
 「絢爛とか爛漫とか(モダンボーイ版)」では、4人の小説家がお互いの才能は十分に認識しつつも、自分自身の才能は必ずしも理解できていないという形で、物語が展開します。
 どちらが、どうという話ではありませんが、物語の展開として、それぞれに面白みがありました。


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