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映画「龍の如く」 北村一輝、岸谷五朗、塩谷瞬、荒川良々 [映画]

 蜷川幸雄さん演出の「恋の骨折り損」に出演する北村一輝さん、「僕たちの好きだった革命」で初のストレートプレイに挑戦した塩谷瞬くん、正月の映画「大奥」で敵役の老中秋元喬知を演じ、アミューズ若手俳優による「FROGS」の演出を手掛ける岸谷五郎さん、そして、監督が三池崇史さんということで、ゲームのことは全く知らないのですが、映画「龍の如く」を観てきました。

 映画全体の印象は、さすが三池監督という感じで、個々のアクションシーンは素晴らしいのだけど、全体としては意味不明、理解不能という感じです。

 桐生(北村一輝)と真島(岸谷五朗)の「怪獣同士の頂上決戦」がメインストーリーなのですが、その他の話も微妙に少しずつ絡みながら進みます。しかし、間抜けな覆面二人組の銀行強盗、成り行きと弾みで連続強盗を始めるアベック(塩谷瞬とサエコ)、韓国から来たアル中でプロの殺し屋(コン・ユ)、ドMの情報屋(荒川良々)等々、それぞれがほぼ完全に別個のストーリーとして進むのは、原作がゲームだからでしょうか。

 映画「アキハバラ@DEEP」で光発作を起こしてフリーズしてしまうタイコ役を好演していた荒川良々さんは、今回は相手を怒らせて、苦痛を与えてもらっては喜ぶという変態役です。他の登場人物も変人ばかりですから、この映画の中だけなら目立ちませんが、毎回こういう役だと、しんどいのではないでしょうか。

 塩谷瞬くんが演じるのは途轍もなく、お人好しで、女の子に振り回されてしまうお兄さんですが、いくら何でも普通は強盗や殺人まではしないでしょう。おかしな銀行強盗と言い、かなり無茶苦茶な話です。

 そんな中で、北村一輝さんと岸谷五郎さんというのは、憎めない悪役という感じです。どう見ても、この二人の演じる桐生と真島は悪党のようですが、それ程、悪そうに見えないという困ったキャラクタです。昔の任侠映画の菅原文太さんみたいな感じでしょうか。

 三池監督のパワーで強引に映画化したという感じがしないでもない映画ですが、いかがなものでしょうか。

龍が如く 完全攻略極ノ書

龍が如く 完全攻略極ノ書

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: エンターブレイン
  • 発売日: 2006/01
  • メディア: 単行本


映画「墨攻」 王志文[ワン・チーウェン]、呉奇隆[ウー・チーロン]、劉徳華[アンディ・ラウ]、アン・ソンギ[安聖基]、崔始元[チェ・シウォン] [映画]

 原作は日本のマンガですが、舞台は春秋戦国時代の中国ということもあり、今回は中国映画として製作されています。
 主演は香港四天王の一人、劉徳華[アンディ・ラウ]と、韓国のアン・ソンギ[安聖基]の二人ですが、中国の王志文[ワン・チーウェン]と台湾の呉奇隆[ウー・チーロン]も重要な役を演じています。
 日本人は出演していませんが、最近、流行の東アジア合作映画の一つと言えるでしょう。

 マンガの「墨攻」は、こんなことが本当にできるのかと思うような荒唐無稽な技まで駆使して、話を盛り上げるのですが、さすがに実写化して映画にするのは、なかなか難しかったようで、マンガに比べると、やや迫力に欠け、多少物足りない感じがします。
 実写ではなく、アニメやCGで製作していたら、もっと派手に描けたと思うのですが、それでは映画としての面白さに欠けてしまうでしょうし、単にマンガをスクリーンで詠むだけという感じになってしまったかも知れません。何よりも、役者の演技を楽しむという映画の魅力が無くなってしまいます。原作の映画化というのは興行的にプラス面があるものの、意外と難しいことのようです。

 物語は、大国、趙に攻められる小国、梁を守るために、単身で梁に乗り込む革離(劉徳華)と、それを迎える梁王(王志文)以下の人々、そして、革離と戦う趙の将軍、巷淹中(安聖基)という形で進行します。
 主役の二人もなかなか良いのですが、脇役の梁王(王志文[ワン・チーウェン])も、なかなか味があります。「始皇帝暗殺」では太后(始皇帝)の寵臣(情夫)、長信侯を演じた王志文は、この映画でも一癖も二癖もある人物を演じています。
 いささか胡散臭くて、得体の知れない革離に全権を委ねて、趙との戦いを決意する辺り、小国とはいえ一国の王の度量を示したりしますが、革離の人気が高まり、王権を脅かすとなれば、情け容赦なく弾圧する冷酷非情さも併せ持ち、さらに最後には狡猾にも唯一の勝者となる梁王を巧に演じています。人間の持つ多様な一面と、善良さと悪辣さを併せ持つ人間の不思議さを象徴しているように思えます。

 弓の名手、子団を演じた呉奇隆[ウー・チーロン]は、ニッキー・ウー(Nicky Wu)として知られる台湾出身の香港、中国の俳優で、かつては「小虎隊」という台湾のアイドルグループ(台湾のジャニーズみたいなもの)の一員でした。
 20世紀末には「台湾四小天王」と呼ばれて、若い女の子に絶大な人気を誇っていたのですが、最近は、あまり見掛けなくなっていました。久し振りに元気な姿を見た感じです。
 聞くところによると、父親の事業の失敗で、呉奇隆さん自身も経済的にかなり苦労したとか・・・、アイドルといえども人生は決して楽ではないようです。
 とは言え、昨年12月に中国の女優、馬雅舒(マー・ヤーシュー)さんと結婚して、今は呉奇隆さんも幸せのようです。

 ところで、梁の王子、梁適を演じた崔始元[チェ・シウォン]は韓国のアイドルグループ、Super Juniorのメンバーです。ちょうど十数年前の呉奇隆みたいな感じでしょうか。
 ちなみに、韓国のジャニーズ事務所に相当するのがSMエンターテイメントでしょう。BoAのような女性タレントも所属していますが、東方神起をはじめ数多くの美形男性タレントが所属しています。気に入らないテレビ局への所属タレントの出演を拒否したりする点も、ジャニーズ事務所に似ていたりします。


Choi Si Won チェ・シウォン 崔始元

墨攻

墨攻

  • 作者: 酒見 賢一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1994/06
  • メディア: 文庫


墨攻 (1)

墨攻 (1)

  • 作者: 酒見 賢一, 久保田 千太郎, 森 秀樹
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1999/05
  • メディア: 文庫


映画「バッテリー」 林遣都、岸谷五朗、萩原聖人、菅原文太、関泰章 [映画]

 少年野球と言っても、甲子園を目指す高校の硬式野球ではなく、中学の軟式野球ですから、いわゆるスポ根(スポーツ根性)ものとは、また違った雰囲気の映画で、家族の愛情、特に親子の愛情と少年達の友情がテーマでしょうか。

 親子の愛情をテーマにすると、父と息子、母と娘という感じが多くなりますが、この映画は母と息子の微妙な距離感が一つのテーマです。
 母と息子の物語というと、近日公開の「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」のように、優しい母親とマザコン青年という感じになりがちですが、この映画では素直に思いを伝えられない不器用な親子が語られます。

 主人公の天才ピッチャー、原田巧を演じるのは新人の林遣都くん、17歳の現役高校生ですが、大手芸能プロダクションのスターダストに所属する、一応、プロの俳優です。オーディションでキャストを選ぶと言っても、全くの素人の中から選ぶのではなく、一応、プロないしプロを目指して活動している人達の中から選ぶのが普通のようです。
 先の「ゲキレンジャー」でもオーディションで3人(悪役を含むと4人)を選んだということですし、最近、活躍している玉木宏さんも名古屋から上京して3年近く、「ウォーターボーイズ」に受かるまで、オーディションに落ち続けたということです。
 ジャニーズ事務所でも事情は同じようですが、単に事務所に所属したからと言って、すぐに芸能人になれるほど、世の中、甘くないということなのでしょう。

 さて、そんな、ある意味、とても幸運な林遣都くんですが、可愛いと言うよりも凛々しい顔立ちで、今後の活躍が期待されます。学生服を着て、ポケットに手を突っ込みながら、学校への坂を登るシーンなど、グラウンドでの投球シーンよりも格好良いと思います。滝田監督に、だいぶ鍛えられたようですが、これから更に演技に磨きを欠けていただきたいと思います。
 それにしても初出演で、これだけ共演者に恵まれるというのは新人俳優にとっては貴重な経験でしょう。何しろ、この映画、主役は新人の林遣都くんですが、父親役は岸谷五朗さん、祖父役は菅原文太さん、野球部顧問役に萩原聖人さん、校長役に岸部一徳さん等とベテランを取り揃えた贅沢な布陣です。

 父親の原田広を演じる岸谷五朗さんは、今夏公開予定の「西遊記」でも悪役(銀角大王)を演じるなど、最近、意地悪な役が多いようですが、今回は小心で善良なお父さんの役です。同じ金属バットを振り回す役にしても「龍が如く」の真島吾朗とは全然違います。岸谷さんの外見からは、むしろ、こちらの役の方がイメージに近い自然な感じなのですが、それにもかかわらず悪役を務められるというのが岸谷さんの役者としての魅力なのでしょう。

 プライベートでも、喧嘩っ早いと言われる萩原聖人さんは、そのまんまと言う感じの野球部顧問の教師役です。
 原作者の「あさのあつこ」さんも、浅野先生という役で、ちょっとだけ出演しています。職員室に戸村先生(萩原)を訪ねて来た沢口(米谷真一)に応対する先生の役で、ちゃんとセリフもあります。横手二中の阿藤監督(塩見三省)のように、1シーンだけの脇役にも名の知れた役者を使う贅沢なこの映画の中で、ちょっと異質なカットだったので、妙に印象に残りましたが、後から彼女が原作者と知り、納得しました。

 横手二中野球部の5番、瑞垣俊二を演じた関泰章くんは帝京高校野球部出身で、夏の甲子園にも出場したことがあるそうですが、この映画への出演を最後に、芸能活動を辞めるそうです。山口良一さんの若い頃に少し似ていて、「アストロ球団」では永山たかしくんらと共演したりもしていたのですが、なかなか芸能界も厳しいようです。
 同じ甲子園で戦った松坂大輔くんは、その後、プロ野球で活躍して、今は大リーガーとなりましたが、どの世界にも天才がいれば、その陰で寂しく去っていく人達もいるのでしょう。
 映画の中では1年生の新入部員なのに、いきなりレギュラーになる原田巧に嫉妬する3年生が描かれますが、才能と運に恵まれた天才と、努力しても報われない凡人というのは、現実には、ごく普通のことかも知れません。
 ところで、沢口を脅して巧にリンチを加え、野球部を退部になった3年生も、映画の最後のシーンで、巧が投げる橫手二中との試合を見に来ているカットが登場します。内申書のために部活をしたと言いつつ、彼も、やはり野球が好きだったのではないでしょうか。この辺り、滝田監督の優しさを見る思いがします。

 野球部顧問の戸村真(萩原聖人)が原田巧(林遣都)の祖父、井岡洋三(菅原文太)を訪ね、巧の野球について、寂しい野球と井岡が語るシーンはなかなか良かったです。
 戸村に語りかけつつ、実は風呂に入っている巧の父の広(岸谷五郎)に伝えたかったという思い、井岡の思いがとても自然に伝わってきます。また、その井岡の言葉を風呂に浸かりながら、黙って聞く広の姿も、なかなか見応えがありました。このシーンが普段は妻の真紀子に圧倒されている広が最後に、野球とは何かを真紀子に諭すシーンへと繋がっていくのでしょう。
 野球は誰のものかと問われれば、本当は誰のものでもないというのが答えではないでしょうか。野球とは心を伝え、通わすものであって、俺のものとか、お前のものとか、そういう風に捉えるものではないように思います。

 階段で繭と電話している巧(林遣都)のところへ、りんごを届ける母の真紀子(天海祐希)、りんごを食べながら、それを手で追い払う仕草をする巧。このシーンには、この二人の関係、お互いに不器用で、うまく思いを相手に伝えられない似たもの母子の関係が凝縮されているように思います。

 ところで、映画に登場する五右衛門風呂、学生時代に友達の実家(みかん農家)へ遊びに行った時に一度、入ったことがあります。確か風呂の底が熱くなるので、下駄を履いて湯に浸かったように記憶しています。映画の中では、そこまで細かい描写はなかったようですが・・・。この五右衛門風呂、昔は、どこの家にもあったようですが、最近は、田舎に行っても、もう無いのではないでしょうか。

 滝田洋二郎監督というと、数々のアダルト映画を手掛けた監督ですが、「壬生義士伝」のような重たい内容の中身の濃い映画の監督もしています。意外と良い映画を撮る監督のようです。

バッテリー

バッテリー

  • 作者: あさの あつこ
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2003/12
  • メディア: 文庫


映画「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」 広末涼子、阿部寛、薬師丸ひろ子、劇団ひとり [映画]

 今(2007年)から17年前、バブル真っ盛りの1990年の日本へ乗り込んで、その後のバブル崩壊を止めるという荒唐無稽の物語ですが、バブル時代を知っている人には妙に昔懐かしく感じる映画です。「あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ」(「時代」中島みゆき、1975)という感じです。

 終電後の深夜の仕事帰りにタクシーが全然捉まらなかった時代から、客待ちタクシーが長蛇の列をなし、たとえ1メーターの客でも歓迎される時代へと変わるのは、今から思えば、ほんの一瞬のことでした。
 坪20万円だった実家の土地が瞬く間に100万円になり、バブル崩壊と共に、あっという間に元に戻った時代・・・。後輩の大卒新人証券マンの年収が1000万円を越えていた時代・・・、そして、バブル崩壊と共に倒産、失業、行方知れず・・・。
 バブル景気とは実に不思議な時代でした。

 この映画では、バブル崩壊の原因を一部の悪徳官僚と海外のハゲタカ・ファンドの所為にして、阿部寛、薬師丸ひろ子、広末涼子の親子?3人が成敗するというストーリーです。
 実際のバブル景気の実態や崩壊の原因は複雑多岐に渡るのでしょうが、娯楽映画としては、こんな具合に簡単な筋書きにしても良いのでしょう。映画とは所詮、楽しめれば良いのですから。最近の邦画が好調な原因は、この娯楽に徹した割り切りにあるのではないかと感じ、素直に楽しんでいます。

 1985年、ニューヨークの名門ホテル、プラザホテルを会場にして行われた先進各国の財務大臣、中央銀行(日本銀行)総裁らによる国際会議にちなみ、一般に「プラザ合意」と言われる国際的な取り決めにより、日本は急激な円高に見舞われました。1ドルが一時100円を切るような現在以上の凄まじい円高です。
 普通、円高になると、輸出が減少し、日本経済は不景気になる筈なのですが、この時の日本は、なぜか景気は悪くなりませんでした。今と同様に金融緩和により、金融市場には実際の需要を遥かに上回る資金が溢れ、円高による輸出の減退で設備投資が振るわない中、余ったお金は土地、株等への投資、投機へと向かい、それが実体を伴わない架空の需要を産み出していたからです。
 端的に言えば、土地の値上がりを前提として借金をして生活するというような状態です。土地が値上がりする限り、常に含み資産が増え、更なる借金と消費が可能になるのですが、生産性を無視した土地価格が長続きする筈がありません。
 結局、土地取引の規制強化を契機として、バブルは弾けてしまいます。仮に、映画のように芹沢良道局長(伊武雅刀)が失脚していても、バブルは必ず弾けたことでしょう。バブルとは、そういうものです。ちょうど、今の中国経済のように・・・。

 バブルを産み出した原因の一つは、法律や行政による様々な規制でした。農地の取引には数多くの制限があり、周りが市街化して住宅地と化しても依然として農地としてしか使えない土地が沢山あるというような状態では、当然、わずかしかない宅地や商業地が高値で取引されるようになります。
 また、農地以外にも土地利用には様々な制約があり、大型スーパーや高層マンションの建設にも制限があって建てられる場所が限られていたので、そうした土地には高値が付きました。
 本来、土地の値段とは、農地であれば、その田畑で生産される農産物の価格、工業地であれば、その工場で生産される製品の価格、商用地であれば、その商店で売り買いされる商品の価格、住宅地であれば、その家に住む人が支払う家賃によって、自ずと決まります。これが資本主義、自由経済というものであり、土地の価格は土地という資本が産み出す財貨・サービスの価値によって決まるはずです。
 バブルの時代は日本が資本主義ではあっても、決して自由経済ではなかったが故の歪みが極端な形で露呈したものといえるでしょう。護送船団方式で、銀行や証券会社を守っていた時代だからこそ、成立した時代です。

 ところで、久し振りに見た広末涼子さんは、もう26歳で一児の母ですが、相変わらず可愛いですね。ボーイッシュなスタイルが似合っていました。

 薬師丸ひろ子さんは、かつての美少女アイドルから、今ではすっかり母親役が定着してしまいました。劇中、阿部寛の「老けたな」というセリフに、思わず「確かに」と頷いてしまいました。もう42歳ですからね。
 その阿部寛さんも薬師丸ひろ子さんと同い年で、バブル崩壊では辛酸を舐めた口の一人とか・・・。最近は、すっかり復活して、映画にドラマに大活躍ですが、この調子がいつまでも続くか・・・。
 その他、劇団ひとりさんも忘れてはいけません。悲惨なバブルの犠牲者か、あるいは不景気なときほど芸人が流行るという意味では恩恵を受けたと言うべきか・・・。

 最後に、ドラム式洗濯機がタイムマシンという設定に最初、ちょっと呆れましたが、車や引き出しがタイムマシンになることを思えば、あながち有り得ない話でも無いかも知れません。


映画「僕は妹に恋をする」 松本潤、平岡祐太、榮倉奈々、浅野ゆう子 [映画]

 この映画のメインは双子の兄妹の禁断の恋と成長、そして別れの物語ですが、それとは別に、ちょっと甘く切ないラブストーリーも並行して走っている小粋な作品です。

 双子(おそらく二卵性、原作マンガでは異父性)の兄で優等生の結城頼[より](松本潤)と、その妹で、あまり出来の良くない郁[いく](榮倉奈々)は、二人がまだ幼い時、頼が郁をお嫁さんにすると宣言して以来、ずっとお互いを意識していましたが・・・。
 その幼い頃からの思いを抑えきれなくなった頼は、ある日、とうとう郁に好きだと伝え、郁は頼の思いを受け入れます。しかし、結局はお互いに子供ではないことを悟り、結ばれないことを理解するというような内容なのですが・・・。
 この二人の禁断の恋を応援するのが頼と郁の幼馴染み、同級生の矢野立芳(平岡祐太)です。

 矢野は郁に対しては好きだと言えるに、本当に好きな相手には好きと言えない情けない奴です。妹を好きになるなんて、到底、許される筈がないのに、それでも好きだと、自分の気持ちを正直に言ってしまう頼の中に、自分には無い強さを感じ、ますます強く惹かれていく矢野の切ない恋心があるようです。
 頼が郁をずっと観ていたように、矢野は頼を観ていたのでしょう。

 個人的には、矢野を主人公にして、スピンオフ作品を作っても、それなりに面白くなるのではないかと思うのですが、無理でしょうか。
 頼とのツーショットを携帯の待ち受けにしたり、郁とのデート(?)で頼へのお土産を買ったりと、なかなか健気で、観ていて意地らしさを感じて応援したくなりました。

 矢野を演じる平岡祐太くんはジュノン・スーパーボーイ・コンテスト出身なので、大人の事情的にはジャニーズ事務所とは犬猿の仲の筈ですが、「たったひとつの恋」では亀梨和也くん、田中聖くんと共演し、この「僕は妹に恋をする」では松本潤くんと共演しています。
 決して主役を越えることのない、引き立て役に徹した名脇役と評価されているのでしょうか。「幸福の食卓」でも、主役の勝地涼くんの引き立て役になってしまっていたような・・・。
 主役を演じるには少し個性が足りないのかも知れません。スーツ姿の新社会人として、みずほ銀行のCMに登場したぐらいだから、やはりキャラクタ・イメージとしては真面目な好青年、人の良いお兄さんという役が多いようです。
 3月10日公開の「うに煎餅」(渋谷シネクイント単館上映)では、黄川田将也くんに勝てるでしょうか?

 ところで、この映画、なぜPG-12(小学生以下は保護者同伴)指定なのだろうかと、観る前は不思議だったのですが、決して許されることのない純粋な愛を強調する宣伝と違って、兄妹の同衾シーン(古い言葉です。今の言葉で言えば、ベッドシーンでしょうか。)が登場します。榮倉さんが未成年なので、さすがに細かい描写はありませんが、若い男女が(少なくとも上半身)裸で、一つベッドで過ごせば、何もなかったと言うことは多分ないでしよう。他にもラブホテルでのシーンも登場しますから、確かに小学生だけで観てはいれない作品かも知れません。いずれのシーンにもコンドーム等の避妊具は登場しませんが、セックスするときはコンドームを忘れずに、という教育は親(保護者)がしっかりすべきでしょう。

 郁役の榮倉奈々さんは案外大きく、さして背の高くない松本潤くんと比べて、あまり背丈が変わらないんじゃないかと思うほどの大きさです。あれでは背中に背負って走る松本くんは大変だったでしょう。

 最後に高校3年生の頼と郁の母親役の浅野ゆう子(46)さんは、苦労して女手一つで二人の兄妹を育てているという役柄の設定もあって、さすがに老けていました。薬師丸ひろ子(42)さんが山下智久(21)くんや広末涼子(26)さんの母親役をする時代ですから、当然ではありますが・・・。
 男女を問わず、若い頃は売れていても歳を経て消えていく役者さんも多いのですが、皆さん末永く頑張っていただきたいものです。

松本潤 榮倉奈々 平岡祐太 小松彩夏 in 僕は妹に恋をする

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2006/12/16
  • メディア: 大型本


僕は妹に恋をする 3―この恋はひみつ。 (3)

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  • 作者: 青木 琴美
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2003/11/26
  • メディア: コミック


僕は妹に恋をする ナビゲートDVD

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  • 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
  • 発売日: 2006/12/22
  • メディア: DVD


映画「幸せのちから」 ウィル・スミス、クリス・ガードナー [映画]

 原題は「the PURSUIT of HAPPYNESS」、アメリカ独立宣言の中の一節、「the pursuit of Happiness」から取られた文言で、直訳すれば「幸福(の)追求」となり、「生命」、「自由」とともに、日本国憲法第13条にも登場する基本的人権の一つです。(Happinessの綴りが間違っている理由は映画を見ると分かります。)

 ちなみに、アメリカ独立宣言では、
「We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness.」
「すべての男(人間)は(神”the Creator”により)平等に作られていること、そして、彼ら(すべての人間)は決して譲ることのできない諸権利を彼らの神から授けられており、これらの権利の中には生命、自由、幸福の追求が存在することを我々は自明の真理であると考える。」(直訳)
と書かれています。

 この後の独立宣言では、政府の存在目的は、これらの権利を保障することであり、政府がこの目的を見失えば、国民は政府を倒し、新たな政府を作る権利を有すると続きます。そして、当時のアメリカ人(ほとんどはイギリスからの移民)は、この権利が故にイギリス国王の代理人である総督政府を武力で倒し、アメリカ合衆国大統領の下に新たな政府を作っていきます。

 幸福は与えられるものではなく、求めるものであるというのはキリスト教的な思想の一つで、「求めよ、さらば与えられん」という形で、よく使われます。もともとは、ひたすら神に祈れと言う意味だったようですが、今では、ただ単に待つのではなく、もっと積極的に努力せよと言う意味で理解されているようです。
 この話は信心深い人が溺れ死ぬ寓話、すなわち海で溺れて神に助けを求め、神の助けを信じて、人(船)の助けを拒んで溺れ死ぬ、愚かな男の話としても映画の中で語られます。

 この辺りは独立・開拓精神旺盛な、いかにもアメリカ的な考え方という気がします。国王や政府、あるいは神に頼って、他人に幸せにしてもらうことを期待するのではなく、自分の幸せは自分の力で掴もうという精神で、日本人には割と欠けているもののように思えます。
 良い悪いは別として、日本人は一般に公への依存が強いようです。その代わり、公への信頼も篤いので、暮らしやすいと言えば、暮らしやすいのですが・・・。他人に頼らずに自由に生きるというのは、存外、苦労が多く、大変なものです。親に頼って生きられる人は気楽かも知れませんが・・・。

 さて、この映画自体は破産した医療機器(超音波式骨密度測定器?)のセールスマンが株の仲買人になって、成功する姿を描いたサクセスストーリーというか、あるいは親子、父と息子の愛情物語というような内容です。
 正直、それ程、面白いとは思えないのですが、アメリカという国を理解する上では良い映画かも知れません。

 時代は1980年代はじめ、日本は二度の石油ショックから立ち直り、これからバブルへ向かおうという時代です。一方、アメリカは石油を大量に消費する経済・社会体制からの脱却が進まず、自動車をはじめとして、日本製の工業製品に圧されて産業界が苦境に立っていた時代、また、連邦政府の赤字が拡大し、危機的な事態に陥りつつあった時代、さらに、そんな中で、なおも膨大な軍事支出を伴う東西冷戦を続けていた時代でした。

 この映画は、黒人(今はアフリカ系アメリカ人と言うようです。)が主人公ですが、必ずしも人種差別を扱ったものではなく、ことさら人種差別反対を唱えるものでもありません。主人公は、たまたま黒人であっただけで、アメリカで生まれ、アメリカで育ったアメリカ人という作りの映画です。
 強いて言えば、証券会社の顧客や病院の医師のほとんどが白人だったという辺りに、その片鱗を窺えないこともありませんが、ヒッピーもホームレスも多くは白人でした。物語の舞台がサンフランシスコではなく、ニューヨークやテキサスなどだったら、また、違った物語になっていたのかも知れません。
 なお、サンフランシスコはゲイの街としても有名ですが、それらしい人は登場しません。父と息子、男同士の愛情物語に、ゲイは相応しくなかったのかも知れません。

 キング牧師の公民権運動から半世紀が経ち、黒人が統合参謀本部議長(軍人のトップ)や国務長官(外務大臣)、上院議員を務め、大統領候補にもなろうかという時代になって、アメリカにおける人種差別は新たな展開を迎えているようです。それを象徴するのが、Happinessの綴りにこだわり、子供の教育に関心を強い持つ主人公です。映画の中でも中国語しか喋らないアメリカ人が登場しますが、現代アメリカにおける差別は肌の色ではなく、英語が分かるか否か、英語が喋れるか否かで行われているようです。
 カリフォルニアなどでは英語の喋れないアメリカ人(主にヒスパニック系)に対して、英語教育を義務付けるか否かで議論が行われていますが、やはり英語が喋れると言うことは何かにつけて有利なようです。

 ところで、邦題の「幸せのちから」というのは、いかがなものでしょうか。せめて「幸せを求めて」ぐらいにできなかったのでしょうか。原題のHappynessのスペルミスと共に、本来の意味を伝え損ねているようで、少し残念です。

 最後に原作者のクリス・ガードナーは肌の色以外、主演のウィル・スミスとは全然似ていませんが、ラスト近くの坂道のシーンで、スミス親子と擦れ違うビジネスマン風の男という形で、この映画の中に出演しています。セリフはありません。

幸せのちから [DVD]

幸せのちから [DVD]

  • 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • メディア: DVD

映画「ふぞろいな秘密」 河合龍之介 [映画]

 以前から、映画に出演したいと言っていた河合龍之介くんがとうとう映画に出演、それも準主役クラスだそうです。

 いわゆる暴露本として昨年末に話題になった石原真理子の自叙伝「ふぞろいな秘密」を石原真理子自身が監督して、映画化するそうです。

 河合くんは妻のいる石原マリコの不倫相手の役とか・・・。
 いきなり難しい役に挑戦するようですが、頑張っていただきましょう。

「ふぞろいな秘密」
http://www.huzoroinahimitsu.com/

 ところで、石原真理子さんが河合龍之介くんに熱愛とか、スポーツ新聞に書かれていますが、どうも石原さんの一方的な愛情?のようです。
 過去にストーカー事件を起こして逮捕されたこともあるという石原さんですが、河合さんも気を付けないと危ないかも・・・。
 色んな意味で、頑張っていただきたいものです。

 さて、河合くんは4月からのテレビドラマ「美味(デリシャス)學院」にも出演するそうです。
 テニミュ(ミュージカル「テニスの王子様」)キャストの総出演+AAAという感じのドラマになるらしい。

4月2日(月)ゆうがた5:30~
テレビ東京系6局ネット
「美味學院(デリシャスガクイン)」
http://www.avexmovie.jp/lineup/delicious-gakuin/

ふぞろいな秘密

ふぞろいな秘密

  • 作者: 石原 真理子
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2006/12/06
  • メディア: 単行本


映画「キャプテントキオ」 ウエンツ瑛士、中尾明慶、いしだ壱成、泉谷しげる、藤谷文子、日村勇紀(バナナマン)、渡辺一志 [映画]

 企画当初は渡辺一志監督・主演作品となる筈だったのに、いつの間にかウエンツ瑛士主演作品になってしまったと言う感じの映画です。
 WaTの相方、小池徹平くんの初出演映画「誰がために」は少年犯罪に通り魔殺人、それに私的な制裁・復讐というやたらと重いテーマを妙に深刻に練り上げて、分かりづらい作品になっていましたが、「キャプテントキオ」は映画好きが作った単純な娯楽映画です。

 監督の思い付きでキャストが決まり、キャストに合わせてストーリーが変わるという制作過程からも窺われるように、最初から何か伝えたいことがあって、そのための手段として映画を使うのではなく、映画作りそのものを楽しむために作り、楽しむために見る映画という感じです。
 もっとも、どれだけ楽しい映画に仕上がったかというと・・・、ウエンツ瑛士くん目当ての若い女性客への受けは今一という気がしますが・・・。

 さて、変人ばかりが登場する、この映画の中で、新東京都知事を演じる泉谷しげるさんの存在感は一際大きく、一緒に映ると他の俳優がかすんでしまうぐらいなのですが、そんな中でも異彩を放ち続けるのは、腰巾着の警察署長を演じる日村勇紀(バナナマン)さんでしょう。およそ有り得ないような、冗談みたいなキャラクタを割と自然に役をこなしています。

 怪獣映画としては異色の出来であった「ガメラ・大怪獣空中決戦」でデビューした藤谷文子さんも、海辺の喫茶店の女王(ママ)を演じて、貫禄のある姐御の雰囲気を醸し出し、すっかり大人の女優になったようです。

 久し振りに見た、いしだ壱成くんは、もう32歳ですが、相変わらず可愛いお兄さんです。元妻の三宅あみさんは谷原章介さんと再婚するようですが、いしだ壱成くんの子供も谷原さんが育てることになるようで、祖父、実父、母、義父に続いて、三代目も俳優になるのでしょうか?
 いしだ壱成くんは、ろくに映画も分からないのに、映画屋(渡辺一志)のために、命懸けでフィルムを手に入れようとする青年アロハを演じていましたが、何であそこまでするのかなと言うようなキャラクタを割と、それっぽく演じていました。「友達だから・・・」というのとは、また、ちょっと違う意味があるような気もします。

 自らキャスティングしたという渡辺監督自身も、演技には期待していなかったというウエンツ瑛士くんですが、映画好きの少年フルタという役を何とかこなしたようです。バラエティを中心に仕事をこなしつつ、意外と真面目な少年・青年というキャラクタが似合う役者でもあるようです。歌の方は、まぁまぁという感じですが、相方の小池徹平くんの歌唱力も、それ程ではないので、ちょうど良いという感じでしょうか。
 今春には映画「ゲゲゲの鬼太郎」も公開されますし、今後の活躍に期待しましょう。

 中尾明慶くんは18歳と一番若いのですが、意外と芸歴は古く、ウエンツ瑛士くんの後見役を期待されていたようですが、結果的には、ウエンツ瑛士くんの引き立て役になってしまったようです。
 映画という共通項で結ばれた集団の中にあって、ロック好きという異質な存在で、結果的に仲間外れにされてしまう少年ニッタを演じたせいか、映画の中でも妙に浮いた存在になっていましたが、ニッタ自体のキャラがそんな存在だから、ある意味、当然なのかも知れません。

 ウエンツ瑛士主演だが、ウエンツくんよりもいしだ壱成、いしだ壱成よりも泉谷しげるが主演という感じの映画でした。

 最後に、ウエンツくんと中尾くんの真っ裸シーンはありませんが、お約束?のウエンツくんの『白』ブリーフ一枚姿のシーンはあります。中尾くんは今風に黒のボクサーパンツ?でしたけど・・・。


映画「となり町戦争」 江口洋介、原田知世、瑛太、岩松了 [映画]

映画「となり町戦争」 江口洋介、原田知世、瑛太、岩松了

 現代の日本において隣町と戦争をするなど、およそ考えられないような状況を設定しての娯楽映画なのですが、意外とシリアスでブラックユーモアに富んだ面白い作品です。
 冗談っぽい話の中に「戦争」というものの持つ様々な面をやや極端な形であぶり出しています。あるいは戦争という世にも馬鹿げた出来事を真面目に描いたと言うことでしょうか。

 例えば、森見町の傭兵(某市市民)は森見町内でしか戦闘行為(殺人)ができず、舞坂町内にいる敵(舞坂町民)を殺せないとか・・・。
 本来、殺すか殺されるかの非情な世界である筈の戦場にも、なぜかルールがあり、それを犯すと戦争犯罪人として罰せられ、ルールを守れば、殺した人間の数に応じて報奨が得られるという、一歩退いて醒めた目で見れば、馬鹿馬鹿しいようなことが罷り通るのが戦争というもののようです。これは映画の世界での話ではなく、現実の世界でも同じことです。
 ほとんどの大人は、子供に人を殺してはいけないと教え諭すでしょうが、いざ戦争となると、小学生にも人を殺すことを奨励する・・・。
 戦争に反対していた人が自ら志願して兵士となり、率先して前線に立ち、人を殺すという理不尽さ・・・。
 いつの間にか戦争が始まり、いつしか皆が戦争に協力し、むしろ積極的に参加するようになる不思議さ・・・。
 愛するものを守るためと称して、人を殺し、他人が愛するものを壊すことの愚かさ・・・。
 これらは戦争というもの持つ魔性のようなものなのでしょうか。そして、それは人間自身の内に潜む魔物なのかも知れません。

 主人公、北原修路(江口洋介)の上司、田尻主任(岩松了)は、戦争というもののもつ不可思議さを際立たせるユニークな役です。
 舞坂町役場職員として戦争業務を遂行する香西瑞希(原田知世)とは別の意味で、戦争を業務として割り切り、戦場では平気で隣人を殺しつつも、戦後は敵とも仲良くすることができる・・・。
 戦争が所詮は殺し合いであり、戦場では情け無用で互いを殺そうとする以上、どこかで互いに憎しみを捨てなければ、戦争は際限なく続き、どちらか、あるいは双方がすべて息絶えるまで続いてしまう。
 人間の歴史が戦争の連続である以上、どこかで割り切り、諦めなければ、人間は生き残ることができなかったのかも知れません。

 ところで、映画の中で、ビルの屋上から眺める遠くの山並みに、何となく見覚えがあるような気がして見ていたら、松山銘菓の「一六タルト」が登場し、電車に「伊予鉄道株式会社」の文字があり、映画のロケ地は愛媛県だと分かりました。パンフレットによると、撮影場所は大洲市、東温市(旧重信町と旧川内町)、松山市、今治市等でした。
 北原が線路を跨いで駅員とキャッチボールをするのんびりとした駅はJR四国の伊予桜井駅(今治市)ですが、現実には映画と違って駅員もいないような寂しい駅です。

 最近、地域興しの一環で映画のロケを積極的に誘致する地方都市が増えています。一時期、映画の撮影は地域住民に迷惑がられたりすることもあって、公共施設の使用許可、撮影許可が出ないと言うこともあったようですが、今は市役所以下、鉄道各社も積極的に協力してくれるようです。
 映画興業における最近の邦画の活躍も、こうした映画ロケへの地方都市の積極的な支援が貢献しているのかも知れません。

 最後にネタバレになりますが、俳優の瑛太くんには名字がありませんが、瑛太くんの演ずる若者、智希にはちゃんと名字があり、劇中で明らかになります。最初から名字を知っていると、映画を観る楽しみがちょっと減ります。

となり町戦争

となり町戦争

  • 作者: 三崎 亜記
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2006/12
  • メディア: 文庫


映画「硫黄島からの手紙」 二宮和也 [映画]

 この映画で一番印象に残ったのは、投降した日本兵(加瀬亮ほか)を米兵が銃で射殺するシーンでしょうか。現実に、1945年当時の硫黄島で、このようなことが行われたかどうかは知りませんが、かつてのヴェトナムや最近のイラクなどでの出来事を考えると、あり得ないことではないでしょう。

 しかし、それを米国人のクリント・イーストウッドとスティーブン・スピルバーグが映画にするということに少々驚きました。日本で言えば、金子修介か大林宣彦が南京虐殺か、朝鮮の3.1事件を映画化するようなものでしょうか。

 日本では、何かにつけて挙国一致が叫ばれ、大勢と異なる意見や体制に異を唱える意見を述べる人を非国民と糾弾する風潮がありますが、日々、アメリカ兵の戦死者が出ている戦時下であっても、こういう映画が作れるのがアメリカの良さかと改めて感心しました。

 最後に、二宮和也くんが死なずに済んで良かったです。


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